不登校からのスタート🌟

不登校を経験し、得たもの😌

次女の心のゆとり

復学して間もない頃、次女は不安感が強くありました。

次女は転校し、私の実家から学校に通うようになりましたので、私とは離れて暮らしています。週末に迎えに行き、また日曜日に送って行く生活です。そんな生活が始まり、間もない頃のことです。月曜日のあさ、次女から電話がありました。

次女「名札を家に忘れてきた。どうしよう。」

私「母さんも仕事に行かないといけないし、名札くらい、忘れていっても大丈夫だよ。」

次女「…お腹痛い」


もう、次女は完全に名札を忘れたことで、登校する気力を失っていました。

昔のわたしなら

「そんな事くらいでウジウジするんじゃないの!さっさと学校に行きなさい!!」と、一喝して終わりだったと思います。

私は一呼吸して娘に伝えました。

私「そしたら、母さんが今から学校に連絡して、『こちらに名札を忘れてしまったことに、気がついたんですけど、もう今から届けられなくて、すみませんが、よろしくお願いします』って伝えておくよ」

次女「…」

電話の向こうでは私の母が焦っている様子が伝わってきました😅


次女は多分休みたかっただろうと思います。でも、そこに居るのは私じゃなくて、祖母。当たったところでどうにもならない。でも、100か0か、という気質を持った次女が、忘れ物をしたとわかっていて学校へと向かうわけには行かない…。ずいぶん葛藤があったようですが、次女は学校へ行ったようです。

学校へ行くと、笑顔で教頭先生が替わりの名札を準備してくれていて、出迎えてくれていたようです。それを聞いて、どんな些細なことでも、学校に連絡して連携してもらうのは必要かもと思いました。こんな面倒なこと、先生に言うのは気が引ける、と、先生に面倒な親だと思われる、と、前の私なら電話なんかしなかったと思います。でも、何とか何とか学校へと踏み出し始めた不安で一杯な娘なのですから、私に出来る事はした方が良いように思いました。先生の対応も、本当にありがたかったです。


あれから一年が過ぎ、ついこの前、娘を実家に送る途中の車のなかでのことです。

次女「あ、何か部屋に忘れてきた気がする…。まぁ、いいか。何とかなる。」

私「そうか。大丈夫なのね。」

次女「うん」

ずいぶんと心にゆとりが出来てきたように感じました。学校に通えて、自分に自身が持てるようになってきたのでしょうね。おおらかになってきました。許容範囲を広げると、次女自身も生きやすくなります。本当に成長したなぁと、感じました😌

私の人生

子供が産まれてから、私の人生は子供中心の生活になりました。

子供が良い成績を取ったら喜び、子供に何か問題が起これば焦ってジタバタし…。子供の全てを我が事のように重ねて来ました。


娘二人が不登校になり、絶望的になったりするなかで、自分なりにいろんな事を考えました。失敗だらけでしたが、試行錯誤して今は娘が二人とも笑顔で過ごせる日々があります。(良いときばかりではないですけどね💦)そして、私の中に今までにはなかった感情が生まれました。

「子供には子供の人生がある。私は自分自身の人生をもっと大切にしたい。」


今年は以前から興味のあった資格取得のために、少し頑張ってみようかな、って思っています。勉強するなんて、20数年振りですが…。


こんな事が考えられるようになったのも、ありがたいことです😌

娘と料理する

次女は料理や手芸、何かを作成することが得意なようです。動画などを見て、上手にそれは器用にいろんなもの作ったりします。細かい作業の苦手な私は、次女の作った作品をみて親バカですが、感心します。


そんな次女がお菓子作りをしていました。私もキッチンで晩御飯の支度をしていたものですから、次女の動きが気になり、ついつい口や手が出そうになってしまいます。もっとこうすれば、手際よく出来るのに‥と、余計なお節介です。うっかり手出し、口出ししそうになるのを堪えて、私は晩御飯の支度をしながら次女の様子を見ていると、手順のなかで、次女はこうすれば良かったという発見をしています。きちんと自分自身でやってみたからこそ気付くのですね。次女が気付くよりも先に私がやってしまっていたら、次女にとってそれは、何の発見にもならなかったどころか、やる気を無くしてしまったかもしれません。


私は娘たちが不登校になるまで、娘たちの人生をこうして、良かれと思って手出し口出しして、コントロールしてきました😢過ぎたことはもうしょうがないです。でも、気付いた地点から私の悪い癖を直して行きたいと思います。子供の人生は私のものではありません😌